Temple on the hill top

 笠森寺観音堂を見るため、外房に足を運びました。

 山岳信仰の時代より霊気を蓄えていた15m程の岩山に、784年最澄が十一面観音を祀ったのが開基とされています。奈良時代までは都市部の平地に建設されていた寺院建築は密教が伝来した平安以降、山岳地帯に数多く建設されていきます。この仏堂も1028年、桃山時代になって建立されました。傾斜地形に対応するように生み出された懸造は、崖の中腹に造られた遺構は多くありますが、すっぽりと山頂に載る四方懸造は笠森寺観音堂だけです。

 山の頂上と仏堂の床は内陣直下の一点で接し、板床は林立する61本の柱列によって支えられ、大仏様とともに導入された貫によって水平剛性を高めています。尖った山頂での懸造は不安定で耐震的に難易度の高い構造ですが、観音像の鞘堂としての機能の他に、風雨にさらされ、崩れやすい泥質砂岩の岩山を侵食から保護する必要があったのでは、と推測します。中世前期を彷彿とさせる、禅宗様の太く簡素な構成と岩山の対比が緊張感を増幅していました。